均整法の成り立ちについて

身体均整法は、亀井進氏が、昭和26年に身体均整協会として設立したものが起源であり、60年以上の歴史を持つ身体の調整法です。健康の問題として、体の歪みや動かし方に原因があるとし、国民の体育向上、精神の安定、人々がはつらつとして生きる社会をもたらすことを目的として身体均整法を創始しました。
その当時、戦後医療改革のなかで療術行為(伝統的な手技調整法の総称)は全面禁止の瀬戸際に立たされていました。全国の療術家はその有効性を訴え、療術を法制化すべきだとする運動を全国的に展開していました。
亀井氏は、医者に見放された自らの難病が療術によって克復されたこともあり、エリートの道を捨て、療術法制化の運動に参加。武道で鍛えた身心により、精力的に各種方面の手技療術を学び、体の重心傾斜の科学的研究、その復元操縦法を開拓しました。そして従来の按摩や指圧・柔整とは全く観点を異にするという趣旨のもとに、身体均整法の基礎を作り、その体系化に努めました。
結果的に療術の法制化は成し遂げられなかったものの、昭和35年、最高裁判決を通じて療術の職業としての法的な立場が確定することになりました。
亀井氏自らも、一療術家として愛媛県松山において開業のかたわら、全国を研修会で飛び回り、「世のため人のため」の精神をもって、均整理論の講義と技術の指導に邁進しました。その後、次第に均整法の卓越した理論と技術が世に評価され、全国から受講者が集まるようになり、各地に協会の支部が設立されていきました。
後にこの技法に出会った小関医学博士は、その効果に驚き、この技術を世に広めようと、昭和45年、東京身体均整学院(現・東都リハビリテーション学院)を設立。両氏は教育と臨床のなかで、さらにその技術を開発、発展させていきました。しかし、昭和50年、亀井氏は己が身を削るようにして力を尽くされ、均整法の原典の編さんを残し、64才の生涯を閉じられました。
亀井氏によって生み出された身体均整法は、成立の過程において、東洋・西洋の様々な手技調整法、漢方理論などを消化吸収していきました。骨格均整法・筋肉操縦法・脊髄神経反射法・十二種体型学・容姿の改善法・頭蓋骨調整法などを含む、その包括的な視点は先駆的で、世界的に見ても類を見ない独自の身体観をもつ技術として今日に至っています。